|
2005年9月12日月曜日に「愛・地球博」に行って来た。
まずは入場ゲートに近づくと、マスメディアでも騒がれたように「ペットボトル飲料」「市販の弁当類」の持込禁止措置が徹底しており、延々列が出来ている。
実は列に並んだ当初はテロ対策と思っていた。ところが金属探知器は設置されていても、持ち物に対するX線検査装置は無く、ガードマンが一人一人の持ち物を開けてペットボトルと弁当を探している!
そして列の横では別のガードマンが「凍らせたペットボトルをタオルに蒔きつけて持ち込む方がいますがダメですよ。廃棄処分にしますので、先に出してください!」と叫んでいる。
会場内で、お金を使わせる為の措置にこんな人員を割くなどと言う、これは信じられない光景だ。
そもそも日本がどこまでおかしくなっているのか確認に行ったのだが、思いがけないところで想像以上に酷いことになっていた。
一口で言うと「会場での死者は何人出たのか?」と主催者に糺さねばならないと思うほど、生命の危機を感ずる酷暑と貧弱な対応環境がそこにあった。
@「木陰」「日除け」「屋根」が圧倒的に少ない |
|
具体的には10万人以上の入場者に対して、真夏の日差しを遮る「木陰」「日除け」「屋根」が圧倒的に少ないことだ。
にもかかわらず、列を付いている人々は大人しく炎天下での入館待ちを受け入れている。そこには本当に「茹でカエル」になってしまっている我々日本人の姿があった。
こんな暑い時期に会期を設定した主催者、計画者側、つまり政府側の無能さ無責任さが、こんな酷い状況の根本原因を創ったことは疑う余地はない。
しかしそれに加えてもう一段大きな問題がある。
この事態に対して安全面から、面と向かって異議を唱えたマスメディアがあったのだろうか?
私は不幸にも寡聞にして知らない。 |
|
そもそも地球環境を題材にしたイベントであり、私は森の中に展示物や、展示館が点在している情景をイメージしていた。
少なくとも計画段階では一時期「海上(かいしょ)の森」の保全とこの万博での開発について、議論されていた。
ところが森は「森林体感ゾーン」<にあるだけで、主な展示館は「グローバルコモン(何という安易な言葉遣いだろうか、甘くあいまいな意識がカタカナ語に垣間見える)」と呼ばれているまったくの人工環境に、せせこましく展開されていた。(長久手会場)
いかにも準備不足、予算不足を思わせる密度の低いデザインの企業展示館や日本の公的セクターの展示館だが、閉幕まで後○○日と煽り立てるマスメディアの尽力の甲斐あってか、軒並み入場に160〜170分待ちの表示が出ていた。
炎天下こんなことをさせるのは狂気(凶器?)の沙汰としか思えない。
|
|
A給水所、噴霧装置、休憩所等の小手先の対応 |
|
さすがに危険を感じたのだろうが、下記に紹介する小手先の対策が採られているが、これらはまさに「焼け石に水」だ。
まず、会場の随所に「給水所」が設けられていて、しきりに紙コップの水が手渡される。(博覧会はマラソンだったんだ!?)
しかしこの「環境博」で消費される紙コップは何個だろうか?
仮に1人1日1個と少なく見ても、1日10万個として180日間だと、1億8千万個!
会期中の前半が酷暑でなかったことや大概の方がペットボトルを中で買い、これに水を満たして使ったとして
消費量を例えばその1/10としても、1千8百万個
このために消費される木材の量は?
「環境博」の名前に反して、一大消費イベントに成り下がっていることが良く分かる。(これは運営サイドの責任だ) |
|
また通路にはノズルが仕込まれていて、時折霧状の水が歩く人に噴出されるが、1〜2万人規模ならいざ知らず、これは現代の免罪符のつもりなのだろうか。
NEDOの実証実験を兼ねて、「光触媒と水噴霧による打ち水効果」で室温を下げる「休憩所」があった。確かに効果はあるようで、入ると涼しく感ずる。しかし、中はまるで「難民収容所」の有様で、そこここでぐったりと寝ている人も多い。
|
|
BAEDで助けられなかった人がたくさんいるはずだ
会場にはAED(外部自動除細動器)が100台以上も備えてあると言う。8月までで心室細動の発作を起こした17人の内13人がこれで助かったなどと、まるで来場者にやさしい会場であるかのようにTVで報道されていたが、これはいったいなんなのだろうか?
視点の置き方がまったく甘い、もしくは根本的に間違っているとしか言いようがない。
日本の報道機関の番組編成責任者はこの会場に足を運んだことがあるのだろうか?
現場に来ていればこんな報道に成るはずがない。AEDの紹介はもちろん重要なことだが、この会場の危険性について触れないのであれば、ただただ政府の「大本営発表」を流すPR機関そのものではないか。
|
|
この「愛・地球博」は一口で言うと、今日の日本を覆っている「無能+無責任+強欲」を象徴するイベントだった。
当日、会場内に人ごみを掻き分けて救急車が駆けつける場面に遭遇したし、痙攣を起こした女性を担架で運んでいるのも目撃した。この調子では、死ななくても良かった人が随分亡くなっているはずであり、これらの人々の死に対して、現代の日本は誰も責任を持たない社会になっていると感じた。
|
|
C「官僚主義」と「経済優先主義」からの脱却こそが日本文明の再生の道
本格的に地球の温暖化が指摘されるようになって、10年以上経っている。近年の本州の気候はもはや亜熱帯のものになっていると、誰もが感じているところであろう。
9月25日までの会期では、当然後半の7〜9月が酷暑の季節であることは分かりきっていたはずだ。そんな時期になぜ森を活かすこともなく、大型施設と展示館を多数建設し、その投下資金の回収に躍起になるような「集金イベント」を強行したのか?
想像力を発揮することもない知的怠惰もひどすぎると感ずる。
自動車の世界ではトヨタの一人勝ちと、名古屋経済圏の活況が報じられている。
しかしそれを象徴するかたちの博覧会がこのような状況であることは、当該企業と地域の未来に大きな不安を感じざるを得ない。
かつて大阪万博も暑い最中に見に行ったが、当時のマスメディアもイデオロギー論争とお祭り騒ぎに終始していた記憶がある。
1970年と2005年と35年の時間を経て、なおかつての教訓を生かせず、マスメディアは同じことを繰り返している。
9月25日の会期終了までの間、少なくともマスメディアは来場者数を報道するだけでなく、会場での死者数やその原因について、追求すべきである。そうでなくてはマスメディアの社会的責任を果たせない。
万国博というものに文明の到達点を確認する意味があるとしたら、今回の「愛・地球博」は日本文明にとっての「哀・地球博」として、記録されよう。
いずれにしても、今必要なのは決してシニカルな批評ではない。日本文明の再生には「無能+無責任+強欲」を生み出す「官僚主義」と「経済優先主義」からの脱却こそが、主たる道であることが再確認されねばならない。
|
|