長土塀共生館のご紹介
―身近なもの同士がいっしょに住む家―
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発端

筆者は石川県金沢市内の長土塀(ながどへい)にある家で高校生時代までを過ごした。
軍医だった父が復員して当時無医村だった能美郡山上村字岩内(現在は辰口町)に診療所を開き、そこで私が生まれた。その後私が4歳の時、母方の実家のあったこの地に医院を開き、以来十数年前に亡くなる直前まで町医者を開業していた。
二人兄弟の兄も私も地元を出てしまい、医院併用住宅のこの家もここ数年間空き家になっていた。
一方、親戚には単身となった叔父、叔母が何人もおり、いろんな高齢者施設を調べ、実際に見学に行くにつれ、生前父が自分が亡くなった後はこの家で皆が一緒に住めるようにしたらどうか、と言っていたことが現実味を帯びて思い返された。
こうしたなかで兄や叔父、叔母、従姉妹等と相談を繰り返すなかから、生れたのがこの「長土塀共生館」だ。

いっしょに住むメリット
高齢の単身の方で、まだまだ元気だという方に住まい方について質問をすれば、おそらく多くの意見は一人で気楽に暮らすか、気の会った人間が身近に住んでいる程度が望ましいとの答えが返ってくるだろう。
一人暮らしに不安がある方の場合でも、出来れば住み慣れた家で必要に応じて手助けしてくれる人が来てくれる程度が良いと考える方が多いと想像できる。「長土塀共生館」の発想の出発点もこの点にある。
叔父、叔母にとっても町や家の様相は変わったとは言え、懐かしい土地であり、近親者故の気詰まりなこともあるにしても、身近な人間がいる場所で暮らす安心感は大きい。

近親者による組合結成
そこでいろんな事業形態を検討するなかから、土地建物は所有者に当たる筆者等兄弟が提供し、高齢者が生活し易いように改築するための費用を入居する叔父、叔母が負担する。そして隣家に住む従姉妹に日常的な運営の柱になってもらうことで、これら参加者全員で組合を結成することになった。
検討過程では有限会社等を設立する方向で話が進んでいたが、事業の性格がどこを取って見ても営利事業ではなく、商法上の法人にはそぐわない為、民法に定めるところの組合とすることとなった。

プロ集団との連携
この事業を進めるに当たって、以下のチームを組んで進めた。
(1)介護体制構築 「株式会社ふれあいタウン」 介護保険利用による介護体制構築およびヘルパー派遣
(2)住宅の改築 「VEN設計工房」 既存建物の基本骨格を残しながら居住者の意見を最大限活かし実現
(3)全体事業推進 筆者自身が元来事業プロデューサーであり、実現への強い意思を持って望んだ。

2004年8月本格スタート
改築作業自体は3月に終了し、入居する方々の意見を取り入れながらベッド、家具、電気機器等を徐々に整え、引越しも4回以上に分けて行った。高齢の方が自分で納得の行くかたちを優先することが大事であり、効率優先のことの運び方はしなかった。

帰るべき住処があること
有料老人ホーム、グループホーム、軽費老人ホーム(ケアハウス)、特別養護老人ホームと、いろんな高齢者向けの施設があるが、介護施設に入居する場合の最大の不安は、病気入院をした場合に帰るべき場として、果たしてそれまでの居所が確保されているかとと言う事である。
「長土塀共生館」の場合、基本はあくまでも自宅の延長なのである。もし入院することがあってもその間も居室は主を待つことを基本と考えている。
単に物理的な場所との意味を超えて、自己の実存の場とでも呼ぶべき、帰るべき住処が安定して確保できていることの安心感を大事にしたい。

少しの余裕で出来ること
「長土塀共生館」は一般的な有料老人ホームに単身で入居する場合に比べると、割高になるかもしれないが、何人かが個別に同一の施設に入居する場合を考えれば、かえって割安と考えられる。



外観:南に面して1・2階に2部屋づつ

玄関:外部にも手摺を設置

玄関内:手摺と靴履き用椅子を配置

廊下には両面に手摺を設置

LDK:かつての診察室

1階居室:ふんだんに明るさと暖かさが満ちている

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