不安からの脱出 |
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今日の日本は経済的に世界でもっとも豊かな国の筈である。ところが現代の日本人は世代を超えて不安の中に生きている。 (1)経済的不安 この不安の原因はいくつも挙げられるが、主なものとして皮肉なことに「経済的な不安」である。 昨年(2003年)にはマクロ統計上わが国の家計が、戦後初めて赤字に転落した。つまり収入が支出に追いつかず、貯金を取り崩して生活していることになる。 そしてすでに全家庭の3割が貯蓄ゼロに陥っている。 この経済的な不安が、思考の全領域でボディブローとなって効いていることは想像に難くない。 2005年以降、デフレ解消の兆しが見え、一部に明るさが見えていると言う。確かに高額商品が売れて居るようだが、明らかに富の偏在が急速に進んでいるようで、1人の富んだ人間と99人の貧者の構成に向かっている。 現在70歳以上の高齢者層は、国の年金・介護保険制度の中で何とか生きて行けるにしても、年代を下るにしたがって、既存制度の財源への信頼度は落ちて行く。 そこに少子化傾向が重なって、10〜20年後には経済的基盤も身寄りもない高齢者が増えることになる。 今必要なことは、死ぬまで働ける仕組みと、病気になった場合の救済策がセットで用意されることだろう。 (2)孤独への不安 3番目は少子高齢化が進む中、経済的な不安に加えて「孤独への不安」が大きいことが挙げられる。 人間は元来社会的動物であり、家族がその基本単位である。人間は本能が退化した分、社会的規範の枠を自らに当てはめることで、初めて生きていける動物である。 その社会的最小単位である家族を喪失した人間は、本能の壊れた動物と同じ状況にあるとさえ言い得るのである。 少子高齢社会での孤独はこうした人間に内在する根源的危機である。 この事態に対して日本社会は特異な位置にある。中国や朝鮮半島の国々とは異なり儒教的な縛りは無いが、欧米社会のような厳格な「個」に分解されてもいない。 日本文化が古来から引き継いできた比較的緩やかな共同体形式の利点を活かして、今日的な再構成が可能であろう。 (3)向かうべき方向が見えない不安 戦後民主主義教育の下、かつての高度経済成長期には、経済的な目標だけではなく「自由の国アメリカ」というモデルがあり、それと共に明るい戦後民主主義を信じられた。 1980年代には「Japan as No.1」と持てはやされ、吟味することなく日本の全てを肯定的に考えたがゆえに、バブル崩壊後には今度は正反対の全否定に走ってしまった。 こうしたその時々の時代にコロコロと流される根無し草のような生き方からは、経済だけでなく「背骨のない」生き方、融通無碍(ゆうずうむげ)な態度こそが成功を収めると言う風潮が生み出されてしまったのではないか。 そして、一旦マイナスの方向に向かうと、止まることなく全否定の中に倒れてしまう。 この不安にはその場凌ぎの方法論的対応は無力であり、我々日本人が歴史の縦の繋がりをもう一度見直し、古代からの生き方に学ぶ生き方に戻ることしか道はないだろう。 そこからまずどこの国にも頼らず、日本国内で自給自足できる体制を実証的に築き、これの上に「戦わずして戦いを収める」日本的な手法を以って、世界の共存・共生の道を呼びかける努力が求められよう。 こうした3側面から現在の不安な状況について考えてみたが、その解決策はそんなに複雑でも困難なことでもないように感ずる。 すでにいろんな試みが始められている。以下にこれらをいくつかの方面から紹介する。 |
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