持続可能な日本型システム
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「成長の限界」から持続型文明へ
21世紀の入り口にいる私たちは、限りある地球環境と資源を前にして、拡大成長路線を放棄し持続型文明を築けるかどうかが問われている。今後地球外の他の天体への移民でも出来ない限り、この現実からは逃れられない。
このようなことは30年以上前、ローマクラブが「成長の限界
」として指摘していたことであり、1997年の京都会議においては、各国別の二酸化炭素排出量削減についての、具体的な数値目標まで設定されている。
しかしながら未だに米国、ロシアは批准しておらず、日本ですら数値目標達成の目処が立っていない。
なぜわかりきった限界を前にして、人類は自殺的な状況に突き進んでいるのか?
(※米国は2005年に批准)

資本主義原理の破綻
その理由は明らかである。実に簡単なことだが、世界を席巻する資本主義経済には拡大成長以外の支配原理がないからなのだ。言い換えれば成長拡大を続けない限り、上手く廻らないのが資本主義の経済社会システムなのだ。
しかし単純で根源的であるだけに事態は深刻であり、我々が今後とも生きて行く世界として地球を維持して行くためには、拡大成長路線つまり「資本主義の基本原理」からの脱却が不可欠なのである。
社会主義も潰えてしまった今、そんなことが可能なのだろうか?

共同体型生産が有力な候補
近代資本主義発生以前の長い間、人類は大地をすべての富の源泉として生きて来た。特に有史以来は共同体による農業生産こそが経済社会を決定付けており、地域の生産が自然の容量を超えることはあり得なかった。
近代資本主義は工業生産と生産物の移動手段を発達させることで、人間を大地から引き離す事に成功し、富の拡大成長に邁進することになった。
我々は歴史の時計を逆に廻すわけにいかない。そこで地球環境の限界を前にして今採るべき手法は、地球規模つまりマクロだけではなく、地域と言うミクロのレベルでも自然の容量を超えない生産体制に持って行くことである。とするならかつての共同体生産時代に倣った社会経済システム導入が、理念的には想起されてしかるべきであろう。

持続可能な日本型システム
物理的に山がちで傾斜地の多い日本は耕地面積が少ない。それでも現在の食料自給率を仮に4割弱としても、日本人は約2割の食材を残飯として捨てていること、および減反政策で使われていない耕地面積が3割程度と仮定すると、現時点でも大雑把に見て潜在的には6〜7割の自給能力はあると考えられる。
これに現在のペースで少子化による人口減が進めば、総人口1.3億人が今世紀半ばに9千万〜1億人位に低下することが予想でき、日本国内での自給自足は決して夢物語ではない。
このような自給可能な体制にした上に、あらゆる現代の産業分野を網羅した持続可能な日本型システムを築かねばならない。それはあたかも斜面林、畑、田んぼを中心に、総合的に築き上げられた「里山システム」の現代版と想起できる。

縮小均衡期を乗り切る
問題は当分の間の、人口低下や経済のマイナス成長を前提にした、「縮小均衡型」経済運営が可能かという点にある。すでに年金、社会保険の破綻見通しが政治・社会問題となっているが、今後も多くの経済分野において、信用の縮小化が続くものと考えられる。
この調整過程での困難は、大局的には資本の意思が貫徹した経済状況を生み出すことになるだろう。特に資本の意思が直接反映する金融・不動産分野を筆頭に、資本の多くが米国を中心としたより強力な資本に隷属する状況になり、文字通り弱肉強食の資本主義原理の嵐が吹きまくるものと見られる。
しかしながら資本の意思による合理的選択からだけでは考えられない、独自の持続可能な日本型システムを組み上げて勝ち残っている分野もある。
まだまだ小さい芽であろうが、まさにこうしたところに今後の希望がある。

「理念的共同体に軸足を移す」に続く


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