サトウとフルベッキ ―「狂信的」日本人像の一人歩き―
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 幕末の日本には、明治維新をはさんで「近代化に貢献」した外国人が多々来ていた。
なかでも英国外交官のアーネスト・サトウと、米国の改革派教会から派遣されて来た宣教師フルベッキは、こうした外国人達の代表格と目されている。

サトウ(Satow:日系人ではない)は、当初通訳見習いとして来日し、後期には駐日特命全権公使として計25年日本に滞在し、文字通り日本近代化に、生き証人としてだけでなく当事者として深く関わった。

またフルベッキは明治の元勲となる有為の青年達に、「進んだ欧米」の事情を教えることで日本の開国を促すなど、主に教育分野での宣教に勤しんだ。
明治学院大学を始め、フェリス女学院、早稲田大学等の礎の準備に関与し、終生日本で過ごし骨を埋めた。

この2人の外国人は言うならば知日派であり、日本の自然の美しさや、優れた芸術を欧米に知らしめた功績は大きい。
しかしこの2人にとってさえも、来日当初、日本人とは「カミソリのように切れる2本のサーベル」で外国人を斬殺し、ひとたび捕らわれれば切腹や打ち首獄門などが行われる恐ろしい「蒙昧なる異教徒」だった。(補足追記:後にサトー自身「切腹はいやな見世物ではなく、きわめて上品な礼儀正しい一つの儀式」と記述している)

我々日本人にはこの「異教徒」と言う響きが、なかなか理解できないが、フランス人の友人が私にエイリアンと言い換えてくれた。
つまり「異教徒」とは同じ人間ではないとの意味を持っている。

サトウとフルベッキ等はやがて日本の様々な人々との親交が深めることとなり、相手を認め合う人間としての付き合いが描かれている。
しかし来日当初、実際に記述し報告したところから広がった「異教徒」日本人に関する恐ろしいイメージは、その後も欧米社会、およびその影響下のアジア諸国で、意図的とさえ思えるほどに繰り返し反芻されることとなった。

最近の例では911世界貿易センターへの航空機の突入に際して、「狂信的な自殺攻撃」として、引き合いに出された特攻隊に対する誤解や、起こり得ない南京大虐殺などを有り得ることとしてしまう意識を、根底で支えている。(南京についてはこちらを参照)

3年前に見つけたフランス語の日本ガイドブックの記述も、こうした意識の産物だった。
日本の歴史の近代の項では「近代の日本は侵略的な植民地主義国家だった」と明記されていたので、すべて書き直すこととなった。(この顛末はこちらを参照)


先日参加した「中川希望塾」で、フルベッキが礎を築いた明治学院大学の北川教授のお話を聞くことが出来た。
(マス)メディアがいかに当てにならないかが分かった訳だが、ではどうしたら良いのか?

これは松蔭が全国を歩いたように、「自分の足で歩き、自分の頭で考える」しかないだろう。
我々は知らず知らずの間に、誰かに考えることを任せてしまう性癖を植えつけられているのではないか?(これこそが極大化して狂信的となる!)

まず一歩を歩き出し、疑問を持って考え、自分の言葉で語ることから始めようではないか。
我々は決して狂信的な人間になってはいけない。
文明間の対立と不調和そして弱肉強食化が進む世界。日本人は「和」を語り、実践する役割を担わねばならない。
(070402)


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