戦後民主主義の終焉 |
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私たち戦後世代(筆者は昭和24年生れ)は、一貫してアメリカの核の傘と、その下での「戦後民主主義」により、外界と隔絶された「雰囲気としての平和」の中で生きて来た。 70年代以降、海外との交流が活発になり、そこで目の当たりにした現実の世界の前に、「戦後民主主義」で語られてきた世界観があまりにも無力で空虚であることに、日本人も徐々に気が付くところとなった。 そして決定的な出来事が国内に起こっていた。北朝鮮の国家機関による日本人拉致という犯罪である。 かねてから日本海側では工作員の暗躍が噂されていたにもかかわらず、太平洋側に居て「雰囲気としての平和」に浸るほとんどのマスメディア、政治家達は顧みることをしなかった。それを拉致家族の会の人々の大変な苦難と努力が、白日の下に晒したのだ。 ここに「雰囲気としての平和」が、虚構でしかなかったことが暴かれるに至り、連合国により作られた「戦後民主主義」つまり「擬製の戦後」が終了したと感じたのは筆者だけではないであろう。 在日30年で日本の古武道をたしなむフランス人の友人が言うには、「欧州では戦争に負けると立ち直るには百年はかかるのが常識」とのこと。 とするならば戦後約60年を経て、変曲点を過ぎて良いはずの今こそ、地球環境に寄与できる日本の英知を持って、欲望を肥大化させ続ける資本主義を乗り超える具体的な手法を組み立て、提示すべき時期にさしかかっているのではないか。(「ごあいさつ」参照) それにより、日本が決して支配を志向する国ではなく、共存と共生のエキスパートとして存在することを示す時であろう。 私の故郷金沢の石川護国神社境内に、「大東亜聖戦大碑」が建立された。 私たち戦後世代にとっては「大東亜戦争」言わんや「聖戦」との語は、確かに耳慣れずおどろおどろしい響きを感じさせるかもしれない。 そこで実際にこの大碑を建てた中心人物、中田清康氏(82歳:―2004年時点)にお会いしてお話を伺った。 その結果、違和感を持ってしまうのは私達世代の方が「雰囲気としての平和」に浸って来た為であり、すっかりふやけた耳のなせる業と自覚し、自己の内なる日本の再構築に取り掛かるべきと考えるに至った。 第一、「大東亜」は本来極東地域に東南アジアを加えた地域全体を示す言葉にすぎないが、欧米列強の植民地となっていたアジアの開放を連想させるため、戦後連合国側によって太平洋戦争との言い方に変更されたのだ。 なお「聖戦」とは、単に日本一国の国益の為でなく、アジアの植民地解放戦争としての「大義」を認識し、合理的判断を超えた観点から止む無く戦ったとの意味が込められている。 もはや「太平洋戦争」とのゴマカシではなく、「大東亜戦争」とはっきり意識するところから再出発することが肝要と考えるが、さて皆様はいかがお感じだろうか? |
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(参照:フランスの旅行ガイドブックの「日本の歴史」の項に筆者が書いた原稿) |
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